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小田原城から北条氏の庭園跡 城址公園内に居館の可能性

 江戸末期の城の姿へ復元整備が進められている「小田原城址公園」(小田原市)から、戦国大名の北条氏の庭園とみられる庭状遺構が市の発掘調査で見つかった。市文化財課によると、これまで別の場所とされていた北条氏の居館の位置が同公園内だった可能性が高まった。小田原城といえば北条氏のイメージが強く、「北条氏の城の心臓部といっていい遺構が城内にある意義は大きい」(同課)だけに、市は整備計画の見直しを迫られそうだ。

 同課によると、庭状遺構が見つかったのは城址公園内の江戸幕府の備蓄米を保管する蔵のあった「御用米曲輪(ごようまいぐるわ)」の一角。石組みの水路や玉石を敷いた園路などが出土しており、大きな庭石を配したり、砂利を敷いたりして庭園の景観が造られた様子がうかがえる。

 水路の石組みには、地元の黒っぽい風祭石や遠路運んできた茶色い鎌倉石を組み合わせるなど、趣向が凝らされている。地層の重なりや出土した土器、陶磁器などから、北条氏5代のうち3代目の氏康から豊臣秀吉の北条攻め(1590年)を受けた氏政、氏直の時代のものとみられる。

 庭状遺構のほか、昨年8月には小田原で初の大型の礎石建物跡も見つかっており、戦国大名の越前朝倉氏(福井県)らの居館遺構に似ていることから、京とつながりの深かった北条氏が、公家を招いて宴を催した儀礼的な場である主殿(しゅでん)が庭園近くにあったと考えられるという。

 当時の事例では、主殿近くに日常生活用の建物も設けられるため、担当者は「東国随一の大名が日常に使った道具類が出土すれば、その暮らしぶりを知る貴重な史料となる」と期待する。

 小田原城は北条氏による関東支配の拠点として知られるが、石垣や天守が復興された城址公園は江戸時代の姿を映している。一方、北条氏の城は現在の天守から約400メートル離れた八幡山(県立小田原高校付近)を中心に拡大された。

 秀吉の北条攻めのころには、周囲約9キロの空堀や土塁の(そうがまえ=城のほか城下町も含めて囲い込んだ外郭)を持つ日本の中世最大の城郭に発展した。北条氏の居館は山手にあったと考えられていたが、近年は低地部に存在したと研究者から指摘されていた。

 今後、主殿跡や京風の儀式に使った大量のかわらけ(素焼きの陶器)が見つかれば、居館の存在を示す決め手となる。北条氏の城は、総構が明治以降も都市形成の重要な要素となっており、今回の発見はその全貌を知る手がかりとしても貴重な成果といえそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00000524-san-soci
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